スティグリッツ、グリーンウォルド著「新しい金融論」を読んでいます。現在、第7章。
さて「新しい金融論」とリフレ政策は矛盾しません。スティグリッツ自身が2003年4月の日本での講演でそのように言明しています。
Deflation, Globalization and The New Paradigm of Monetary Economics
スティグリッツがこの講演を行った当時は政府紙幣の発行を提案したとしてマスコミで騒がれていました。しかし、実際の講演では金融論の新しいパラダイムを概観しつつ、日本経済のデフレに「新しい金融論」を適用して分析しています。
Deflation, particularly unexpected deflation, leads to real balance sheet effects which can adversely affect aggregate demand
This is in addition to traditional real interest rate effects
Deflation, Globalization and The New Paradigm of Monetary Economics(P16)
要するにフィッシャーのデットデフレーションの議論です。だから、当然インフレにする必要があるとスティグリッツは言います。
Shifting from deflation to inflation may help balance sheets undoing damage that deflation has done in increasing real value of debt
But some institutions with a maturity mismatch may find their balance sheet hurt may need to have inflation or interest rate puts
Shifting from deflation to inflation may lead to lower real interest rates
Deflation, Globalization and The New Paradigm of Monetary Economics(P18)
インフレ起こしてバランスシートを改善しようと言っています。岩田規久男氏らが言っていることとほぼ同じですね。極めつけは、
Strategy was tried in Sweden in Great Depression - worked
Deflation, Globalization and The New Paradigm of Monetary Economics(P22)
大恐慌時代のスウェーデンの例まで持ち出しています。おお、リフレ派とまるっきり一緒ですね。
さて、「新しい金融論」の枠組でどんな風にリフレが正当化されるかを詳しく見ると以下のようになります。以下は僕が本を読んで考えただけなので間違っているかも知れません。
こんなふうになります。
ACCSとofficeさんと朝日新聞の記事に関する反応リンク集。
USNewsの記事。
MITで大学院生として過ごした1970年代、FRB理事ベン・バーナンキは20世紀の苦難を引き起こした最大の原因のうちのふたつに夢中になった。ひとつは大恐慌。もうひとつはボストンレッドソックスだ。
グリーンスパンFRB議長の後継の有力候補だそうな。
Journal InTimeより。改行コードが\r\nだったので、コンパイルでエラーになってハマった。
fib(32)だと
9.850000 0.000000 9.850000 ( 10.051438) (ruby) 6.210000 0.000000 6.210000 ( 6.336231) (yarv)
fib(35)だと
42.470000 0.010000 42.480000 ( 43.613726) (ruby) 26.550000 0.000000 26.550000 ( 27.178595) (yarv)
40%ほど実行時間が短い。
やだとちゃんと声優学校の広告が出るけど、だと出ない。ナンダヨー。
バーナンキFRB理事による講演。論文を参照しつつ、金融政策には透明性が必要であり重要であることをわかり易く説明している。読むと賢くなったような気になる。そんな講演。
今日の読売新聞の社説が凄かった。自由貿易の促進を主張しつつ、
目指すべきは、関税障壁で国内農業を守る政策から、意欲のある生産者に直接所得補償を実施し、競争力の高い農業を目指す「攻め」の政策への転換だ。
というふうに、農家に補助金を与えることを提案している。それって、おもいっきり非関税障壁なんだけど。自由貿易を推進するために非関税障壁を提案するというのはちょっと聞いたことがない。
これを書いた人は自由貿易と非関税障壁は対立するものであるという基本的なことを知らなかったのだろう。自分が何を書いているかも分かっていないんだろう。
なんとなくリンク。読売新聞を読んでいない人は知らないだろうから。
日銀総裁にグリーンスパン。ただし、通訳は戸田奈津子。
素晴らしい。鳥肌が立った。陽子役の久川綾が特に良かった。
ベイジアンスパムフィルターに対抗するためかは良くわからないけど、色んな英単語をランダムに並べたスパムが来るようになった。で、bsfilterをすり抜けてしまうんでどうしたもんかと考えていた。試しに、Paul Graham methodに切替えたらスパムだと判定する。
というわけで、Paul Graham methodと Robinson-Fisher methodの両方で判定するように.procmailrcを書き直した。どちらかの方法でスパムだと判定されたらスパム用フォルダに移す。
## recipe of procmail :0 HB: * ? bsfilter -m rf --spam-cutoff 0.68 trash/spam/. :0 HB: * ? bsfilter -m g trash/spam/.
Procmail の紹介とレシピの書き方を参考にした。procmailは「これぞバッドノウハウ」という感じだ。どうにかならないか。
昨日の読売新聞の社説に関して、llrさんからツッコみをもらいました。
関税による厚生の喪失は,それと同等の保護を与える生産補助金による喪失よりも大きいのです.裏を返せば,関税政策から生産補助金政策への移行はサード・ベストからセカンド・ベストへの移行とも解釈できます.
確かに見落としていました。前に日記で書いたんですが。最近物覚えが…。
でも、農業補助金大国のアメリカやEUの仲間入りを日本が進んでするべきだとは、僕には思えないです。農業補助金に関しては「人間が幸福になる経済とは何か」の中でスティグリッツも批判しています(P259)。
一旦設けた補助金を廃止することは非常に難しいですし。
農業政策に関しては株式会社の農業参入の自由化と、農地所有の自由化がまず先だろうと思います。
検索したら、規制改革の推進に関する第3次答申の第2章分野別各論 農林水産業(PDF)というのを見つけました。
去年は10個も遊んでないな。
再々発見。Walking Lintさんのblog。
はてなの近藤さんが「一般ユーザーとしてキーワードを削除した」という見解を述べたら、何人かのはてなダイアリーユーザが異義を述べた。その後「1ユーザーが削除されるのと同等の行為」という風に訂正された。リンク集。
。
はてなダイアリー評議会に関しては論点が色々あって、ただリンクを時系列で並べただけではわかりにくいと思って、トピック毎に並べることにした。
中でもこの「近藤さんの立場」に関する議論が僕にとっては一番興味深かった。スーパーユーザは一般ユーザのように振舞いたくても振舞えないというのは、言われてみれば当たり前だけど、結構面白い。
証明書の期限が切れている。
llrさんのエントリ。
経済関係のネタで反論を貰えてとても嬉しい。
この日記では専門でもないのにうだうだ経済のことについて書いている。読んでいる人にとってはそれが経済学的にどの程度妥当なのか分からない。鵜呑みにされると書いている方としては困ってしまう。こうやって反論があると、この日記に書いてあることがどの程度妥当かというのが、経済学に興味のない人にもある程度想像できると思う。
さあ、好き勝手に書いていこう。
いまさら「経済論戦は甦る」の第4章の不良債権処理案に関して考えてみた。スティグリッツの「新しい金融論」を読んでいる関係で。
竹森案を結論だけまとめると「とにかく公的資金を強制的に注入する。そのとき政府は普通株を受け取る。事後的に、モラルハザードが発覚したら、経営に介入して経営責任を明確化する。刑事罰も。」となる。これで公的資金注入にともなうモラルハザードは防げるそうだ。
疑問点は以下の3点。
なぜ普通の投資家でなく政府が株主になっただけで、モラルハザードを防ぐことができるのだろうか。
貸出が不良債権化した場合、資金を優良貸出先に貸し出そうとして失敗したのか、元からギャンブルに使おうとしていたのかを「事後的」に見分けることができるのだろうか。
貸出には常にリスクが伴う。「モラルハザード起こしたら後が酷いぞ」と銀行を脅しつつ強制的に資金を注入したら、健全な銀行でさえリスク嫌悪的に振舞ってしまうのではないだろうか。
異質な商品はバーチャルボーイ2だと思う。
スティグリッツ氏による2003年4月のスピーチ(日経新聞主催のシンポジウム)の要旨。
この理論はある種の structural reforms(構造改革)が総需要の問題を悪化させる理由を説明する助けになる。
何処かで聞いたことのあるセリフだ。
Moreover, these funds can be used to help recapitalize the banks, enabling them to lend more. It can be used as part of the strategy for bank recapitalization.
公的資金注入には賛成っぽい。でも、詳細については語っていない。
黒木氏のサイト。スティグリッツのインタビュー記事の要旨。公的資金注入には言及してない。賛成というわけでもないようだ。昨日のは訂正。
「新しい金融論」を読んでいても、従来の金融論をあまり知らないので、どこら辺が新しいのかよくわからない。というわけで、小野善康著「金融」を図書館で借りてざっと読んでみた。svnseedsさんが取り挙げていたので。小野氏の金融論が従来のものかというのは置いといて。
流動性保有による効用v(m)にはちょっと納得いかない。v'(m)>βにはもっと納得がいかない。でも、定常的な不況を脱出するためにインフレを起こそうという結論になるのは面白い。本人はインフレ目標に反対しているけど。
本文は英単語をランダムに辞書から選んで並べてあるだけのHTMLメールが、bsfilterをすり抜けて困るという話のつづき。
本文を無視して、本文に含まれるURLとヘッダだけからスパムかどうかを判定するオプション(-B)を作ってみた。 cut off は0.99に設定。
## recipe of procmail :0 HB: * ? bsfilter --spam-cutoff 0.68 trash/spam/. :0 HB: * ? bsfilter -m g trash/spam/. :0 HB: * ? bsfilter -m rf -B --spam-cutoff 0.99 trash/spam/. :0 HB: * ? bsfilter -m g -B --spam-cutoff 0.99 trash/spam/.
そんなにスパムに困っていないんだけど、色々試すのはゲームみたいで楽しい。メールひとつに付き4回フィルターに掛けるのでちょっと遅くなる。今のところうまく動作している。
パッチ。
svnseeds’ ghoti!より。東谷暁著「エコノミストは信用できるか」を検討した文章。
原田泰氏と岡本慎一氏による2002年の論文。スティグリッツ、グリーンウォルド著「新しい金融論」の参考になるはず。
Homepage:
Also "home page." The main page or first page of a Web site. Often refers to the personal site of an individual.
Also can mean the default page that a browser opens with, or where the brower will return if the "Home" button on the Navigation toolbar is pressed. This option is set by the user or facility where the computer is located.
英語圏では「ホームページ」を「個人サイト」を指す意味には使わないって誰が言い出したんだろう。「個人サイト」あるいは「ウェブサイト」の意味で使うこともある。もちろんその使い方が間違っていると言う人もいるだろうけど。
■追記。Internet Glossaryは権威あるものではなくて、Santa Barbara City Collegeというコミュニティカレッジのオンライン授業を受ける人のために用意された、ネットの使い方だとかを解説したページのうちのひとつです。
home page
A home page is a web page. In most familiar terms, it is a personal page for an individual. It can also be the basic main page for a more complex web site for individuals, organizations, or web communities. On complex web sites, it is the page which a server will show when no HTML filename is listed, usually with the name index.html, home.html, or default.html or the same names with the shorter extension .htm.
Googleでdefine:検索して見つけました。
During the 1990s, many people considered homepage to refer to a person's personal page containing information about themselves (such as a vanity site). This idea of a homepage is being superseded by the definition, above.
Wikipediaの記述。
スティグリッツ、グリーンウォルド著「新しい金融論」、読了。素晴らしい。
竹森俊平著「経済論戦は甦る」の第2章6節のデット・デフレーションの議論や第4章での不良債権の議論、岩田規久男著「デフレの経済学」第5章のデット・デフレの議論などで語られてきた、「信用の経済学」を統一的に扱った本。と言うとリフレ派に贔屓過ぎるかな。
著者たちの議論は多岐に渡り、そのすべてをここで取り上げることは不可能だけど、一番のポイントは「経済変動を説明する際に、実質金利は(名目金利に比べ、絶対的かつ相対的に)おそらく重要では」なく、「経済全体で信用の割当がおこなわれているとき」には、実際に重要なのは「貸出の量であって金利ではない」という点(p40)。
そして、「信用」は本質的に個性的である。つまり、個々の企業の信用情報は個別のものであって取り換えが効かない。だから、価格が市場を調整するのと同じように、金利が貸出市場を調整するということはない。(P307〜)
ここから信用の経済学がはじまる。
著者たちの結論のうちで重要なもののうちのひとつは、「金融における銀行の占める割合が低下するにつれ、金融政策はそれほど有効ではなくなるだろう」という主張。全く効かなくなるわけじゃないけど、金利を上げ下げして景気の微調整を行うようなことは出来なくなるだろう。と著者たちは言う。
もうひとつは銀行の自己資本規制は意味が無いどころか社会全体にとって有害でさえあるというもの。銀行のモラルハザードを防ぐにはより総合的な規制が必要だと著者たちは言う。
さて、理論はまあいいとして、現実に銀行貸出はどのくらい重要なのかというのが知りたくなる。原田・岡本「銀行貸出とその他の資金調達手段の優位性」によれば、銀行貸出は重要だけどその他の資金調達方法も同じくらい重要だという実証結果が得られている。驚くことに、中小企業にとって銀行貸出はそれほど重要ではないかも知れないそうだ。
もちろんクレジット・ビューは何も「銀行だけが偉い」といっているわけではありません。ただ「銀行が偉い」といっておるだけなのですが。
という意見もある。
大西・中澤・原田「デフレーションと過剰債務(PDF)」は日本でのデット・デフレーションの実証分析といえる。
翻訳者のひとりである内藤純一氏の「平成デフレと1930年代米国の大恐慌との比較研究」と原田「大恐慌期のデフレーションと財政金融政策」。図表が便利。
読んでいると知的興奮をかきたてられる一冊。
レベッカ・ブラッド著「ウェブログ・ハンドブック」、読了。ウェブログの手堅いハンドブック。
文字どおりウェブログの書き方指南の本。ツールの使い方よりも、ウェブログを書くにあたっての姿勢や細かい作法、注意点についてはじめての人にもわかり易く書かれている。
ブラッド氏のウェブログに対する情熱が印象的。
ただ、ハンドブックなので、ウェブログをある程度知っている人が改めて読んで面白いかは疑問。
僕がもしウェブ日記やウェブログのことを知らなかったら、この本をまっ先に読んでとりあえずこの本のとおりにウェブログをはじめていたと思う。電化製品を買うとマニュアルを隅から隅まで読むタイプなんで。
何でもやってみて失敗しながら修得するタイプの人はこの本を読まずにウェブログをはじめてみても全然かまわないと思う。人それぞれだし。
なんだか書影が書影に見えないな。
有罪判決。むむ。松文館裁判傍聴録。hotsumaのURLメモ。。
真紀奈の掲示板での謎工さんの書き込み。むむ。
朝日新聞の記事。経済板@いちごびびえすで紹介されていた。よく見たら去年の9月の記事だった。
ジョセフ・スティグリッツ著「人間が幸福になる経済とは何か」、読了。素晴らしい。
2001年にノーベル賞を授賞した経済学者スティグリッツ氏がクリントン政権の経済諮問委員会での委員としての経験をもとにアメリカ経済の「狂騒の90年代」を克明に描いた本。
本書で扱っている範囲は驚くほどに広い。他の経済の本を読んでいても重なる部分が多くあって、読み比べてみるととても面白いし理解もしやすい。
例えば、本書と関連する書籍として前にも書いたように、ブラインダー、イェレン著「良い政策悪い政策」が挙げられる。ブラインダー氏とイェレン氏は90年代のFRBの金融政策に割と好意的だけど、スティグリッツ氏は評価すると同時に批判的でもある。FRBに限らず中央銀行はインフレを恐れるあまり、失業率をかえりみず金利を上げてしまうと批判する。
またクリントン政権の財政赤字削減に関しても、スティグリッツ氏は「いまから思えば、やはり私たちは赤字削減を進めすぎた」と言う。政府が将来のために投資すべき分野は教育や科学研究などまだたくさんあり、赤字を削減するだけではそれらの分野に資金が回ることはない。
誤った規制緩和、ストックオプションを経費として計上しない会計制度、銀行の不正、自分に都合の良い政策だけを押しつけるアメリカの外交政策、エンロン、ブッシュ政権、そのすべてが鋭い批判の対象となる。
筆致は情熱的であると同時に理知的である。ただ、経済学的にどういった論理を用いて議論しているかわかりにくく、良く考えないといけないところもある。それでも本書の価値は一向に減らない。
素晴らしい本だと僕は思う。
■以下は参考までに。
前にも取り上げたけど、「良い政策悪い政策」と「人間が幸福になる経済とは何か」とを読み比べているThe New York Review of Booksの書評。それと、スティグリッツの2003/11/05の講演記録、「The Roaring Nineties」。
Common Errors in English。svnseeds’ ghoti!より。
HOME PAGE
On the World Wide Web, a "home page" is normally the first page a person entering a site encounters, often functioning as a sort of table of contents for the other pages. People sometimes create special pages within their sites introducing a particular topic, and these are also informally called "home pages" (as in "The Emily Dickinson Home Page"); but it is a sure sign of a Web novice to refer to all Web pages as home pages. Spelling "homepage" as a single word is common on the Web, but distinctly more casual than "home page."
英語圏での「Home page」の使われ方で多いのは、「個人サイト」の意味ではなくて、「何かのトピックについて詳しくまとめたページ、あるいはサイト」なんだろう。それを間違っているとこの文章は言っている。
英語圏でも「Home page」の意味はいろいろ変わっているようだけど、「何かの情報を辿るときの出発点」という共通性がある。
ブラウザをスタートしたときの最初のページ。サイトのトップページ。個人のプロフィールを載せたページ。何かのトピックについて詳しくまとめたページ、あるいはサイト。
あと、
it is a sure sign of a Web novice to refer to all Web pages as home pages.
だそうで。英語圏でも初心者はウェブページをホームページと言ってしまうと書かれている。
alt.usage.englishのスレッド。うーん、「個人サイト」の意味では使わないのか。
便利。
tDiaryのカテゴリ表示をちょっとだけ変えた。フォームはあんまり好きじゃないので、日付の時と同じように「<<前 次>>」を表示するようにした。
日記やweblogでのカテゴリーの表示の仕方をいろいろ見て回る。
カテゴリーを表示するときの問題点として、エントリーが多すぎると表示するHTMLファイルのサイズが巨大になって、サーバに負荷を掛けるし、読みにくいというものがある。で、エントリーが多いときにどのように表示するか。
tDiary。エントリの数によらずタイトルだけを表示して本文は表示しない。ある日付のカテゴリーをクリックすると、その日付に近い日付のエントリを表示する。
MovableType。色々設定が可能なようだ。カテゴリーに含まれるエントリ数が多いと、ページを分けることが出来る。表示の仕方は、ホームページと同じように、ある程度の文章を表示して「つづきを読む」形式。
はてなダイアリー。本文全文も一緒に表示。表示する日数は指定可能。ある日付のカテゴリーをクリックすると、tDiaryと違い最新のカテゴリーリストを表示する。
hns。カテゴリー表示では、最近の日記しか表示しない。
blosxom。エントリ数が$num_entriesより多いと過去の分は表示しない。
スーザン・シャラー著「言葉のない世界に生きた男」、読了。
コミュニティカレッジに手話通訳のボランティアとして訪れた著者が、生まれてから大人になるまで一度も言葉を教わったことのない聾者インデルフォンソと出会う。シャラーはインデルフォンソへ言葉を教えることを買って出る。果たしてシャラーは、言葉の存在さえ知らないインデルフォンソに言葉を教えることが出来るだろうか。
著者の感じたこと、考えたことが率直に語られている。一体何処から溢れてくるのだろうと思うくらい、本書は著者の情熱で満ちている。
シャラー氏が言語あるいは聾唖者教育の専門家ではない点、インデルフォンソが既に成人してしまっている点などの困難を、シャラー氏の情熱とインデルフォンソの言葉という未知のものへの好奇心で乗り越えていく。
単に音がないだけでなく、言葉のない世界とはどういったものなのか。言葉という存在自体を知らない人間には世界はどのように見えるか。そのような人間はどのように思考するのか。
といった疑問に、この本は答えているともいえるし、全然答えてないともいえる。著者がこれらの疑問に興味があることだけは確か。
すごく面白かった。
簡単なようですが難しいです。
自分が興味のない話題に関して、マスメディアあるいはネットで話題になっているという理由だけから、日記に何か書くということはしないようにしています。
あるいは、「下らない話題だな、興味ない」と思っても「下らない。興味ない。」というようなことは書かないようにしています。
頭に浮かんだことを書いて吐き出してしまうと、書いた本人は気持ち良いかも知れません。が、読む人にとって何の価値もないです。また、あとから自分で読んでも気持ちの良いものではないです。
とか、そういう姿勢は自分には向かないというだけです。比較優位というやつです。他の人が「下らない」とか皮肉全開で書いているのを読むのは割と好きです。面白くない皮肉全開の文章も多々ありますが。
皮肉キャラより、いい人キャラの方がまだ空きがあるかなという戦略です。他の人と同じことをやっても仕方ないというか。テレビのコメンテーターじゃないんだから、何でもコメントすれば良いというものでもない。
以上は、万人が従うべき規範というより、個人的なポリシーとして書きました。納豆好き嫌いと同じような種類の話だと思って下さい。僕は納豆は好きです。
「脳ざらし紀行」のtDiaryのカテゴリー機能の表示の仕方をちょっと変えようと思って、参考に調べただけなんですが。テーブルでまとめてちょきにページを作ろう。
phonondriveでも、tDiaryのカテゴリー機能の話題が取り上げられている。今日のなんでやねんより。
任天堂の「異質な商品」が発表された。バーチャルボーイだと思っていたけど、ゲームウォッチだったとは。
アレクサンドル・デュマ著「モンテ・クリスト伯」。小説が読みたくなったので、近所のブックオフで買ってみた。読み始めると予想以上に面白くて驚いた。
「引き」がうまい。大デュマに向かってうまいとか言うのもなんだけど。この先どうなるのかと読者がつづきを読みたくなるようなストーリー展開が絶妙。展開も早い。
にしても、検事が悪いやつでね。
現在2巻の途中。
小学校の同級生にこんな奴おった。最相葉月のなんでやねん日記より。
lovefoolより。
最近、Wikiにメイビー興味が出てきました、メイビー。
使いはじめのころは、Wikiに関していろいろ書いていました。それからはとにかく使ってみないことにはわからないことがあるだろうと思い、使うことに専念していました(便利だし)。
最近再びWikiそのものについて興味が出てきました。
ちょきのメニューを以下のように変えてみた。
変更前
[新規|編集|差分] [トップ|一覧|更新履歴|バックアップ|ヘルプ]
変更後
[編集|新規] [FrontPage|一覧|更新履歴|ヘルプ] [差分|バックアップ]
ポイント。
すべてのWikiに存在するだろう「FrontPage」「一覧」「更新履歴」「ヘルプ」をまとめてまんなかに置いた。
ほとんどのWikiでFrontPageのWikiNameには「FrontPage」が使われているので「トップ」よりもわかりやすいだろうと「FrontPage」に変えた。Wikiの名前自体がFrontPageのWikiNameに使われている例もあるけど、「FrontPage」の方が分かりやすいか。
たださんの提案を受けて「編集」を一番左に置いた。
「編集」「新規」をまとめて一番左に置いた。
それ以外のPukiWiki特有の機能を右に置いた。あるWikiに特有の機能のメニューは一般的な機能と分けておくと分かりやすいと思う。
Wikiの文法が統一されていなくても僕はあんまりヘキヘキしないけど、Wikiのメニューがサイト毎に違うのにはヘキヘキする。違っていても分かりやすければ良いんだけど。
自分が書き込むWikiはひとつかふたつだけど、読むWikiは割と多いので、書く人に便利になるより、読む人に便利になった方が、僕としては嬉しい。
はじめて訪れたWikiでは取り敢えずページ一覧とRecentChangesを見る訳だけど、メニューがわかりにくくてどれをクリックしたら良いか分からず、ストレスがたまることが多い。
色んなWikiサイトを探訪してみた。あおきさんのWiki「」は、以外の話題も多くて面白かった。
。エイリアス機能は実装しないのかな。
。アニメの話題が多い。。
。ではWikiに関していろいろ書いてある。
逆リンクを利用して、カテゴリーを作ってみた。も参照。
MSNサーチの検索結果の表示件数はCookieを使って設定するしかない。検索エンジンで意味もなくCookieを使うというのはたまらなく嫌だ。
Cookieを使わずに表示件数を設定する裏技。
裏技。
検索結果を100件表示する。URL中の100の部分を適当に変えればOK。 Cookieless MSN Search。
tdiary.confの97行目の
@html_title = 'diary'
でSyntaxErrorになっています。考えられる理由は、tdiary.confの97行目より前の行のどこかで「'」が余分に多いか、少ないのではないでしょうか。
ちょっと長過ぎて読みづらい。
色んなWikiEngineのナビゲーションを集めて見た。見事にバラバラだ。何の法則性も見いだせない。一番短いのがWiLiKiで長いのがRWiki。
ナビゲーションはWikiEngineを設置した人が書き換えることが可能だけど、各ナビゲーションにはそれぞれのWikiEngineのポリシーが出ていると思う。
それにしても、見事にバラバラだ。
はてなダイアリーキーワードと同じように、ちょきのURLの後ろの「/」を無くした。従来通りのURLでもアクセスは可能。
アレクサンドル・デュマ著「モンテ・クリスト伯」、読了。
「おお神様、あなたがおいでにならないと申しましたことをおゆるしください。」というセリフによりはじまる長い物語のクライマックスは読みごたえがあった。
全体的にもう少し短くできたのではと思う。
すごく遅い。トップページへアクセスすると表示するのにだいたい20秒から1分掛かる。
Mint Julep。前に一度だけbk1で本を買ったことがある。今はesBooksを利用することが多い。
佐藤俊樹氏が日経で変なことを書いていた。地方への財源と権限の委譲に関して。
東京都の銀行課税を大阪府がすぐさままねたように、日本の自治体には「成功例」をコピーしたがる癖がある。そのため、どこかが特色ある施策をうちだしても、まねが続出して、結局横ならびに終る。
もし本気で(地方自治体同士が)業績主義で競争するのであれば、財源確保や権限委譲だけでは不十分である。知的財産まで守る必要があるのだ。企業同様、各自治体のビジネスモデルも保護する。例えば、「成功例」をまねしたければ、最初に思いついた自治体にアイデア使用料を払うようにすれば良い。
「がんばり」測る尺度重要 佐藤俊樹 日経経済教室(2004/01/27)
特許制度は企業の横ならびを防ぐための制度ではない。発明を保護することによって、発明へ投資するインセンティブを企業に与えるための制度だ。
またいわゆる「ビジネスモデル特許」は「ビジネスモデル」なら何でも特許になるというわけではない。かつ、競争を阻害する点において「ビジネスモデル特許」はメリットよりもデメリットの方が大きいと僕は考える(ここら辺は勉強中)。
真似をする事は企業同士の競争ではよくあることであり、それこそがイノベーションの原動力となる。競争相手が真似をするので、他者が真似できないようなもの、真に革新的なものへ企業は投資するようになる。
真に優れた政策ならそれを他の自治体が真似することを阻害するような制度は有害でしかない。東京都の銀行課税が優れた政策かどうかは置いといて。
このように考えると地方自治体にビジネスモデル特許と類似の権利を与えるというのはメリットよりもデメリットの方が大きい。
都市間の競争に関しては原田泰氏の「日本の失われた十年」に少し書いてあった。都市政策に関しては八田氏と岩田氏の「日本再生に『痛み』はいらない」が割と詳しい。もっと専門的な本も探せばあると思う。
機械的な荒らしに関して。
Wikiに荒らしは存在するか。する。バックアップ機能は必要。本家のWikiWikiWebにもある。
Wikiは荒らしにどの程度弱いか。掲示板やコメントを受け付ける日記システムと同程度に弱い。本気でDDoSなどの攻撃をされたら掲示板だろうがWikiだろうが関係なく破綻する。
IPアドレスによるアクセス禁止がある程度有効。
人間の荒らしに関して。
人間が悪意をもって書き込むあるいは削除するタイプの荒らしは存在するか。する。例。
Wikiは荒らしにどの程度弱いか。同じく、掲示板やコメントを受け付ける日記システムと同程度に弱いとしか言えない。
管理者だけでなくWikiの参加者全員が、荒らしが書いた文章の削除など荒らしに対応可能なので、管理者の負担はその分減るかも知れない。
Wikiにツリー構造を入れても良いか。良い。ただし複数のツリー構造を同時に入れることを許容すべきだ。複数のツリー構造が入ったWikiは自然とネットワークを形作る。
雑然とページが並んでいるよりもある程度の規則性、例えばツリー構造が入っている方が人間にとって分かりやすい。とはいえ、Wikiの場合そのツリー構造は固定されたものではありえない。『大抵のWikiの構造は本質的に一時的なもの』()だからだ。
ページの内容で分類してもWikiのページの内容自体が変わる可能性がある。どんなアイドルもいつかは「元アイドル」になってしまう。時間とともにPageNameの分類自体も変化する。どのような内容のページが増えていくかも予想がつかない。事前にあるべき分類を想定しておくのは不可能。固定的なツリー構造は破綻する。
PageNameにFoo/Barのような親子関係を明示的に入れるのは避けるべきだ。親子関係を解消しようと思ったら、PageNameまで変わってしまうし、URLも変わってしまう。ツリー構造はあくまでリンクを使って入れる。
普通のWeb日記やニュースサイトなら時間軸という固定されたものがある。ページは時間軸に沿って蓄積されていく。年ごと月ごとにページを固定的に分類できる。特にWeb日記は日記というくらいだし。
Wikiのページは何時でも更新可能なので、時間軸による固定的な分類は不可能である。は時間軸による一時的な分類であると解釈できる。
Wikiの参加者が各自の思うようにページ同士をリンクして、好きなようにツリー構造なり、何なりを入れていくことによってWikiの姿が形作られる。
大規模なWikでは条件検索した結果のページのリストで新しいページを作るとか、リンクを支援する機能が必要なのかも知れない。
正誤表にちょっと追加。
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