Q. スリランカはなぜ1964年にDDTの散布を中止したのか。
A. もともとそういう計画だったから。
マラリア対策としてのDDT散布の有効性と、それに絡めたレイチェル・カーソンへの批判として1960年代のスリランカの例がよく挙げられます。例えば日本語版WikipediaのDDTの項では以下の様な説明がされています。
先述の通り、DDTは発がん性があるとされ、また環境ホルモンとして機能することが 判明したため、世界各国で全面的に使用が禁止されたが、経済的にも工業的にも 弱体である発展途上国ではDDTに代わる殺虫剤を調達することは困難であり、 DDT散布によって一旦は激減したマラリア患者がDDT禁止以降は再び激増した。 例えばスリランカでは1948年から1962年までDDTの定期散布を行ない、それまで 年間250万を数えたマラリア患者の数を31人にまで激減させることに成功していたが、 DDT禁止後には僅か5年足らずで年間250万に逆戻りしている。
このスリランカでのDDT散布中止は、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が巻き起こした反DDT旋風が原因であると言われたりもしています。しかしながら、『沈黙の春』のアメリカでの出版が1962年であり、わずか2年でスリランカのDDT散布を中止させるというのは不自然です。英語版Wikipediaでは「Thereafter the program was halted to save money (DDT)」とおもに資金面が原因であるというふうに書かれていますがこれも間違いです。
そもそも1958年からはじまったスリランカでのDDTの散布はWHOの「Malaria Eradication Programme(マラリア根絶計画, MEP)」の支援と指導のもと行われていました[1, p25]。このプログラムでは作戦期間は「Preparatory phase」「Attack phase」「Consolidation phase」の3つに分けられていました。「Attack phase」においてDDTの短期集中的な散布を行い、マラリア感染者をごく少数に押さえ込んだ後は、「Consolidation phase」においてはDDTの散布を中止し、新規マラリア感染者の発見と管理を行うと決められていたのです。
つまり、1964年のスリランカにおけるDDTの散布中止は、マラリア根絶計画の「Consolidation phase」移行に伴う予定通りの行動だったわけです。
1950年代から1960年代にかけて、WHO内で上記のようなマラリア根絶計画がなぜ推進されたのか。僕が調べた限り、理由は3つほど挙げられます。1つ目はいくつかの地域でDDTの散布により実際にマラリアを根絶できたこと。それらの地域ではDDT散布を中止した後も、マラリア感染が発生することはありませんでした[2,p2]。2つ目はアメリカ政府の政治的な圧力です。アメリカ政府は東西冷戦下での政治的な思惑により、DDT散布によるマラリア根絶を強力に推進しました。これによりWHO内で行われていた「根絶vs制御」の議論は決着が付いてしまいました[2][4]。最後の理由は、根絶派はマラリアを媒介する蚊がDDTに耐性を持つ前に決着を付けたいと考えていたからです[2][5]。プログラム失敗後の1970年代のマラリア流行の原因の1つが、DDTに耐性を持つ蚊であったことは、非常な皮肉と言えます。つまり、根絶計画を推進した彼らも、蚊が耐性を持つことの危険性をちゃんと認識していたのです。その証拠に作戦中も蚊のDDTその他への耐性は常にモニタリングされていました。
結局、特定地域でのDDT散布によるマラリア根絶成功を、経済開発状況や地理的な特性などを考慮せず普遍的に再現できると考えた極度の楽観主義と、政治の横車がWHOをマラリア根絶計画へと推し進めたようです。
[1] History of malaria and its control in Sri Lanka with emphasis on the 50 years following eradication attempt (p25〜参照)
[2] Some Lessons for the Future from the Global Malaria Eradication Programme (1955-1969)
[3] 公衆衛生を政治する(←マラリアに関してどの文献を参照したのかがよくわからないのが残念。)
[4] スピールマン/アントニオ 『蚊 ウィルスの運び屋』
[5] Gordon Harrison, Mosquitoes, malaria, and man: A history of the hostilities since 1880. このページからの孫引き。
ちゃんと避妊してたんですかねえ。
狼男である以前に、「国立大なのにいい男みっけ」→「もぐり発覚」→「実は狼男」と段階を経て大沢たかおの甲斐性の無さが明らかになって来ていて、大沢の告白より前に宮崎あおいの人生設計は「公務員に就職して私が稼ぐ。あいつには主夫をやらせよう。」ぐらいに定まっていたはずで、それが「俺、狼男なんだ」の告白をきっかけに「地方のど田舎の公務員に就職して私が稼ぐ」ぐらいに修正されるというのが今時のリアリティなんじゃなかろうかと思うわけでして。「ど田舎で暮らしてたら大沢たかおが誤って猟友会に殺されて……、そこから始まる母と姉弟のストーリー」ぐらいにしておけば無難だったんだろうけど、人気は出なそう。
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