The New York Review of Books に掲載のYale大学のNordhaus氏による書評。全くの偶然だけど、昨日の僕の日記と同じように、ブラインダー、イェレン「良い政策悪い政策」とスティグリッツ「人間が幸福になる経済とは何か」の2冊を読み比べながら、90年代のアメリカ経済を考察している。
blogでの反応。Economist vs. Economist: Dissecting the Roaring 90'sとThe 1990s Boom。
アラン・ブラインダー著「金融政策の理論と実践」、読了。昨日取り上げた「良い政策悪い政策」の著者による金融政策の実践的なテキスト。ちょっとテクニカル。
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでのブラインダーのロビンズ記念講演を本にまとめたもの。ロビンズ記念講演はブラインダーの他にもピーター・テミン、ポール・クルーグマンなどの著名な経済学者が講師を務めていて、それぞれテミン「大恐慌の教訓」、クルーグマン「通貨政策の経済学」として出版されている。
「金融政策の理論と実践」の中でブラインダーはいくつかの興味深い主張をしている。
まず、金融政策に関する動学的非整合の議論は見当違いなものだと切って捨てる。
動学的非整合の考え方をキッドランドとプレスコットは金融政策に導入した。予期しないインフレを起こせば一時的に失業率を減らすことができる。中央銀行は人気を得ようとそのような政策を取りがちである。しかし、人々は中央銀行の行動を読みとり、インフレを予想してしまうので、インフレが高止まりしてしまう。これを金融政策に関する動学的非整合の問題という。これを防ぐためには中央銀行をルールで縛る必要があると言う経済学者もいる。
しかし、現実の中央銀行はインフレを起こすどころか常にインフレを起こさないよう細心の注意を払っている。だから、中央銀行をルールで縛る必要などないし、縛ってはいけない、とブラインダーは言う。確かに、インフレ好きの中央銀行なんて聞いたことがない。
ブラインダーは予防的な金融政策の重要性を説く。早目の金融引き締めは批判にさらされることが多いけど、安定的なマクロ経済を達成するためには必要だと主張する。
中央銀行の政治からの独立性は必要不可欠だと言う。また、中央銀行は金融市場からも独立であるべきだと言う。中央銀行は金融市場が予想している通りの政策を行いがちだと自らの経験をもとにブラインダーは指摘し批判する。金融市場は気まぐれなので、それに引きずられるような金融政策は到底受け入れられるものではない。
金融政策のルールと裁量に議論に関連してインフレ目標政策はルールではなく、裁量だと言う。
FRBは「物価の安定」を目指すべきである。なぜなら連邦準備銀行法にそう書いてあるから。それが嫌なら(例えば3%のインフレでFRBが満足するべきだというなら)、法を改正するべきだとブラインダーは言う。
という風に、ブラインダーは独立した中央銀行に多大な裁量を与える現在の中央銀行制度に対して肯定的である。言っていることに筋は通っている。でも、政治から独立している中央銀行の政策によって苦境に立たされている日本経済の一員としては、どうも同意しかねる点が多い。スティグリッツやクルーグマンも中央銀行の独立性の必要性に懐疑的である。
また、法律に書いてなくても低めのインフレを中央銀行は目指すべきだということは日本経済の現状を見れば明らかだと思う。法律に書いていないことを目標に設定するのは法治国家の観点からみれば確かにおかしい。というわけで、法律でインフレ目標を明示しつつ、中央銀行に裁量をあたえれば、ブラインダーも文句はないだろう。
ただ、中央銀行の独立性の問題はさらなる議論が必要。というか、容易に結論に至らない難問だと思う。
日本銀行日本政府の為替介入に関して。なかなか皮肉が効いている。
日本政府が円売り・ドル買いに使った二十兆円だが、政府が買ったドルは米国債に運用され米国の減税策をサポートしている。また政府が短期証券を発行して円売り介入資金を調達するのに合わせて、日銀は買いオペを行い政府をサポートしてきたふしがある。ようするにまわりまわって日銀がスポンサーとなって米国が減税策を実施している。それで問題がないというのなら、今度は日銀に、日本政府が日本での現在策を実施するのをサポートしてもらってはどうか。二十兆円の減税なら効果があると思うが。
竹森俊平:改革手詰まりと為替政策 読売新聞12月29日
■訂正。為替介入の主体は日本銀行じゃなくて、財務省ですね。参照。
謎工さんのblog。
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