役人の習性として「前例主義」と「組織の維持拡大」がよく言われる。よくよく考えてみると、この二つって相矛盾しないだろうか。前例主義を取って去年と同じことをしていては、組織を維持できても拡大を図ることは言葉の定義からして無理である。何せ去年と同じことをしているのだから。逆に組織の拡大を図ろうとするなら、前例にとらわれていては目的を果たせない。
もちろん、前例主義と組織の拡大を両立することは可能だろう。ここで問題にしたいのは、なぜ一見すると矛盾する二つの習性を役人は持っているのだろうかということである。
役所はひとりの人間から構成されているのではない。無数の役人から構成されている。そして、役人もひとりの人間である。役人個人はおのおの自分の効用を最大化するように行動しているはずだ。では、どのような条件の元で役人は前例主義と組織の拡大という二つの習性を持つようになるだろうか。
また前例主義と簡単に言っても、何が前例と合致して何が合致しないかの判断基準が必要だ。その判断基準はどのようにして決まるのだろうか。
組織の拡大を目指すと言っても、何をもって組織の拡大と言うかの基準が必要だ。そのような基準はどのようにして決まるのだろうか。
僕は役人の昇進を含んだ報酬体系が仕事の成果ではなく仕事量によって決められていて、それが前例主義と組織の拡大という二つの習性を役人に持たせるのではないかと予想する。
役所の仕事は企業と違い利益の多少によって成功の度合を図ることができない。ので、利益に応じた報酬を与えることにより働き手にインセンティブを与えることが不可能である。よって次善の策として仕事量に応じた報酬により働き手にインセンティブを与えるというものが考えられる。
仕事量により報酬が定まる場合、働き手はできるだけ効率良く大量の仕事をこなそうするだろう。そして、大量の案件を裁くために、前例に基づいて仕事をするようになるだろう。仕事の量自体も増やそうとするだろう。結果としてそれが組織の拡大に結び付くだろう。
前例主義における前例に合致するかどうかの判断基準は効率良く大量の仕事をこなすために都合良いものであろう。また、組織の拡大とは仕事の量を増加させるようなものを指すだろう。
上に述べたことは役所以外にも当てはまるはずだ。なぜなら、大企業になるほど、会社の利益に対する個人の貢献の度合を正確に計ることは難しく、仕事量に応じた報酬が設定されるかも知れない。その場合上に述べたことが企業の社員に対しても当てはまることになるだろう。
現実はどうなんだろう。
てなことをずっと前に考えていたのをある文章を読んで思い出した。
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