八田さんの記事中での「ネットワークの外部性」の使い方は間違っていると僕は思う。以下はその説明。
「外部性(externalities)」とは経済学の用語。スティグリッツミクロ経済学では
個人または企業が、他の個人や企業に影響を及ぼす行動をとったとしても、それに対して対価を支払ったり補償を受けたりしないことである。
と定義されている。例として挙げられているのは「公害」「天然資源の浪費」「公共財の供給」など。公害をたれ流して他の個人に影響を及ぼしてもその対価を支払わないとき外部性が存在する。
その「外部性」という概念の一部であるネットワークの「外部性」とは。
ネットワークの外部性とは狭義には消費者の効用が消費者群の規模に依存する性質を指し、代表例としては、電気通信ネットアークが挙げられる
つまり、インターネット、電話ネットワークなどのように利用者が増えることでネットワーク自身の便益が増えるようなことを指す。
「ネットワークの外部性」という概念はOSに対しても使われる。OSのシェアが増えることでそのOS自身の便益が上がるからだ。しかし一般のソフトウェアには必ずしも当てはまらない。
OSだけでなく一般のソフトウェアに関しての話のはずだから、八田さんの記事中での「ネットワークの外部性」の使い方は間違っていると僕は思う。OSなどのようにシェアが増えることによってそのソフト自身の便益が増すような場合にのみ「ネットワークの外部性」は存在する。
「評判」の理論は「ネットワークの外部性」とは別に「情報の経済学」という分野の中にある。
完全情報のもとでは「評判」は必要ないし影響もしない。なぜならソフトウェア作者の実力は完全に知られているから評判を参考にする必要はない。実際には実力が完全に知られていることはない。そこら辺を探るのは「情報の経済学」。
「評判」の場合とちがって完全情報のもとでも「ネットワークの外部性」は存在する。WindowsとMacの性能、将来出るであろう対応ソフトなどが完全にすべての消費者に知られていたとしても(あるいは知られているからこそ)、Windowsのシェアによる便益は発生する。
ミドリ・モール著「ハリウッド・ビジネス」(文春新書)、読了。面白かった。これさえ読めば、ハリウッドに関してしたり顔で蘊蓄をたれ流すことができる。この本によるとハリウッドは基本的に村社会。いつも訴訟ばかりしている。契約は口約束で済ますことも多い。いざ裁判になっても最後は映画業界での力関係がものをいう。お金の流れも不明瞭。映画スタジオには4つの帳簿があるといわれている。株主用、投資家用、税務署用、そして内部用。
これだけでたらめやっていて、どうして世界中でハリウッド映画は成功しているのだろうか。興味深い。
FRB理事のバーナンキの日本金融学会での講演。その中で「」と同時に「物価水準目標」を採用することを日本銀行に提案した。以下はその理由。
人々が中央銀行の総裁は、目標値から離れるほど積極的な対応をすると予想していると仮定する。さて、安定したデフレ下にある経済において中央銀行の総裁がある固定されたインフレ目標を宣言し、しかしある期間において何ら進展が見られなかったとする。次の期間において中央銀行は前期と同じ状況にある。仮定より中央銀行は目標値を達成するためのより一層の努力をする動機づけを持たない。また人々が中央銀行がより一層の努力をするだろうと予想する理由もない。この点において、インフレ目標はあまりにも「寛大な」目標だ。失敗にペナルティがない。さらなる努力も要求されない。対照的に、物価水準目標では、物価上昇のパスをともなう物価水準目標と持続的なデフレは時間とともに物価水準の目標とのギャップを大きくする。
よって、中央銀行のある期間内での目標達成の失敗は次の期間でのさらなる努力の予想を導く。たとえば、公開市場でのより多くの買付けなど。だからたとえ中央銀行が目標達成の期間を規定するのを嫌がったとしても、物価水準目標の構造は中央銀行に初期の対デフレ対策が不十分だった場合にその努力を一層強めることにコミットする手段を与える。
人々の期待(予想)への働きかけが重要であることがくり返し指摘されている。
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