「創作」のための「共有地」。名前にそう書いてある。
レッシグ著「コモンズ」で論じられた「コモンズはイノベーションを促進」を実践するための仕組み。「コモンズ」が机上の空論ではないということを見せようとしている。「コモンズ」で行なわれた議論を現実の世界で証明して見せようとしている。
「(他人の著作物を利用しようなんて奴らは)、それって泥棒じゃん。」という身も蓋もない意見(著作権を所有権と同等にみる考え方)にどう反論するか。著作権強化の流れにどう抗うか。法律家のレッシグ教授が取った戦略は「コモンズ」と「イノベーション」を強調して、「少なくとも今の流れはこれらを考慮していなくておかしい」と警鐘を鳴らすことだった。決して、「著作権なんて糞。自由、マンセー」などとは言わなかった。「著作物の利用者の権利を強化しよう」とも言わなかった。
レッシグ教授は注意深く論を組み立てた。「保守対リベラル」という対立を回避するために、「これは右とか左とかいう問題じゃない」「Old vs Newだ」を繰り返した。
だから、著作物の利用者のことを考えていないといえば言える。これは、レッシグ教授の取った戦略の結果だと思う。
面白かった。で、反論も読む。Truth about Bowling for Columbine。ムーアの負け。
映像は込み入った議論には向いていない。この反論を確かめるためには、もう一度か二度、ボーリングフォーコロンバインを見ないといけない。けど無理だしね。
最近DNSが不調のようなのでメモ。
すでに、日本語に訳されていた。すばらしい。こんな上等な仕事の前では、上に書いた僕の文章は意味を失うな。これを読めば Creative Commons のことがちゃんとわかる。
使いやすい、使いにくいの前に、いまだに使い方が分かりません。
チョムスキーは以下のように言う。
米国は、世界に対して次のように宣告していることになります。防衛能力がなければ、我々は攻撃をやりたいときにやりたいように行うが、抑止力があるならば、我々は手控える。我々は、防衛力のない標的しか攻撃しない。すなわり、米国は、ほかの国々に対して、テロ・ネットワークと大量破壊兵器などの、信頼性の高い抑止力を開発したほうが良いと告げていることになります。そうでなければ、「抑止戦争」の標的となると。
これにくわえて、国連の査察についても同様なことがいえる。査察で大量破壊兵器がないこと、あるいは廃棄されたことが確認された時点で『攻撃をやりたいときにやりたいように行う』とアメリカは告げている。
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