「共有地の悲劇」という概念が経済学にはあります。共同で所有されている土地は誰もが利用しようとするけど、誰も維持管理しないので最適な水準よりも過剰に利用され荒廃してしまうという理論です。
同じような「焼肉の悲劇」というものを僕は思いつきました。みんなで焼肉を食べにいった場合、肉を食べるには他の人よりも先に鉄板から肉を取らないといけません。当然他の人も同じように相手よりも先に肉を食べようとします。競争の結果、相手よりも先に食べるためには多少焼けてなくても我慢して肉を食べることになります。
肉は最適な焼け具合よりも前の「生焼け」の状態で食べられることが多くなります。肉という消費財の効率的な消費が妨げられています。これをぼくは「焼肉の悲劇」と呼ぶことにしました。
さてこの「焼肉の悲劇」をどうやったら防ぐことができるでしょうか。ひとつは「共有地の悲劇」を防ぐのと同じように管理人を置く方法です。管理人はみんなに肉を平等に割り当てます。
もうひとつはオークションを行う方法です。ある肉を食べたい人は払ってもいいと思う金額を提示し、一番高い金額を提示した人が肉を食べられるとするのです。そして、食べた人が払ったお金は焼肉の代金の支払に回されます。このようにすれば、肉が生焼けの状態で食べられてしまう「焼肉の悲劇」は防げます。
「共有地の悲劇」は所有権を設定できない(していない)ときに起きる非効率のひとつの形態ですから、供給の多寡というのは本質的ではありません。
例えば焼肉の場合、各自が自腹だったら注文するだろう肉の合計を、最初にあらかじめ注文しておくとします。「焼肉の悲劇」を防ぐことはできるでしょうか。できません。人というのは不思議なもので自腹の時とおごりの時とでは胃袋の大きさが変わる生き物です。ワリカンの時も同じように、自分が払う以上の肉を食べようとみんなが先を争います。結果、肉が生焼けの状態で食べられてしまう「焼肉の悲劇」が生まれます。
では、みんなが食べ切れないくらいの肉を注文すればどうでしょうか。この場合肉が生焼けの状態で食べられてしまうことは防ぐことができます。しかし、 食べ切れないくらい注文した肉の合計は自腹だったら注文するだろう肉の合計を遥かに上回るでしょう。結局、自腹の時以上に払わないといけなくなります。
他人と一緒に焼肉に行くと最適な水準よりもたくさん食べてしまうこの種の非効率を「焼肉の第2の悲劇」と呼びます(今、決めた)。過剰な消費という点において この「焼肉の第2の悲劇」が本来の「共有地の悲劇」と対応します。
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