TSUTAYA に行ったら普通に貸し出してあったので借りてきた。20年前のドキュメンタリーが手軽に見れるとはすばらしい。1984年 第57回アカデミー賞 最優秀長編ドキュメンタリー賞授賞。
1978年11月27日、サンフランシスコのマスコーニ市長とミルク市政執行委員が市庁内で殺害された。犯人は同じ市政執行委員のダン・ホワイト。ハーヴェイ・ミルクはアメリカで初めてゲイであることを公表しながら選挙によって公職に選ばれた人物だった。サンフランシスコのカストロストリートにおけるゲイムーブメントの中心的な人物だった。
中流階級のユダヤ人の家庭に生まれ、海軍に入隊、証券会社に就職した後、ブロードウェイでプロデュース業、その後ベトナム反戦運動、ゲイの解放運動へと至る。カストロストリートで恋人とカメラ屋を営みながら市政執行委員の選挙に挑むこと3回。すべて落選。リベラルなマスコーニ市長の選挙改革も手伝って4回目で初当選。このときまでにはミルクはカストロストリートのゲイコミュニティの中心的な人物になっていた。
単なるサンフランシスコの市政執行委員であるミルクが有名になった切っ掛けはカルフォルニア州で同性愛者を教職から排除する内容の提案6号が住民投票に掛けられたことである。ゲイの市政執行委員として知られていたミルクは提案6号を巡るマスメディアでの議論で推進派のブリッグス議員に対抗して反対の論陣を張ることとなる。
ブリッグス議員の言い分。
提案6号は両親の権利を守ります。体罰を加えて教え込もうとする者や、違法である買春婦を教師にさせないのに、同性愛者は許されているのです。
提案6号は51%対47%で否決された。
ミルクはマスコーニ市長と共に同じ市政執行委員のホワイトによって殺害される。
裁判ではホワイトの殺意が争点となった。
ホワイトの裁判の結果は4年から12年の懲役で仮釈放の可能性もあるもので、それはまさに弁護士が要求したとおりのものだった。
ある黒人の青年のセリフ。
これが“公平な法”ですよ。私が公人を殺したら何年だろう。
ハーヴェイ・ミルクに関してはランディ・シルツ著『ゲイの市長と呼ばれた男(上)』、『ゲイの市長と呼ばれた男(下)』が詳しい。
シルツの著作を読んでハーヴェイ・ミルクやこの映画に関しては知っていたんだけどまさか本当に見られる日が来るとは思わなかった。マイケル・ムーアの最大の功績はドキュメンタリー映画を TSUTAYA で貸し出させる切っ掛けを作ったことなんじゃないかと思う。
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